答えは私の中にありました。(くれたけ#195)
くれたけ心理相談室1月②の宿題📝です😊
【Q.あなたが克服したときのことを教えてください】
私は、お子さまと関わるお仕事が天職と思い続けておりました。
今も変わらず大好きで、そして、居たい場所に変わりはありません。
しかし、若かりしき頃は現代のような産休・育休は取得が難しく、寿は退社するのが当たり前の時代でした。
私の両親は共働きでした。ですが、やりたいと思った事を頑張る両親の背中を見てきたので、淋しかったという記憶はありません。
なので、
自分がワーキンマザーをして行くことへも全く抵抗がなく子どももが生まれた後も直ぐに職へ戻れるものと思っておりました。
しかし、現実は簡単ではありませんでした。
幸いにも素敵な保育園に子どもたちは預かって頂けたので、お迎え時にいつも帰ろうとしなかった子どもの姿には
気持ちは翌日に向かってとても焦っているのだけれど、何度も何度も嬉しいなと思っていました。
ですが、上の子が3歳児クラスにあがる年のこと。
目と鼻の先のお部屋だったのですが、我が子の心にとっては大きな冒険だったようです。
これまで拒むことが全くなかった我が子でしたが、進級してから玄関先で約4ヶ月間泣きわめき私から離れようとしませんでした。
保育園も決して引き離そうとせず待ち続けていました。
初めは何もかもが混乱し、保育園から自転車で向かう職場までの道のりを毎日のように泣きました。
『泣きわめく我が子を預け、今度はお子さまを預かる職場へ向かう。納得したくても出来ない分厚い壁に向かって走行する日々でした…』
ある時でした。起点という響のよい言葉よりも、苦悩の末に出た言葉のように記憶しています。
「マムちゃん、必ずお迎えにくるからね。大丈夫だよ。大好きな○○さん(担任の先生)と待っててね」
→そして、保育士さんへ「お願いします。」と強い気持ちで言い切りました。 すると…
今までは玄関で待ち続けていた保育士さんが言葉を掛けて来たのでした。
この保育園は子どもの自立を待ち続けてくれる保育園です。自立を待ち続ける事は容易な事ではありません。粘りと辛抱が絶えず繰り返させられる毎日。
保育士さんは子どもの自立を待つだけではなく、親としての覚悟を経験させてくれたのだと気がつきました。
この機会を堺に
「お母さん、可哀想だけど受け入れるね。」と、保育士さんから我が子を引き取ってくれるようになり、自然と娘の抵抗は少なくなって行きました。
その後も初めての子育てですし、
悩んだり、悲しんだり、時に壁を乗り越えようと親子で臨むことが多々ありました。 けれど、
我が子への言葉のおろし方は大きく変わり、
努力する姿への励まし(褒める)は自然とするように私自身が大きく変わりました。
あれから10年…今では、この時の話は上の子とも笑い話になっています。
だって(笑)離れ際に幾度も担任の先生を蹴っ飛ばしていたほどですから🫣(笑)
その時は辛くても、親子で乗り越えられたこの経験は素敵な思い出となりました。
『今を生きる自分に 納得 する』
自ら見つける事は容易でないと思います。けれど、一緒に考えたら
『答え も 自分が持っている』
このことを知ることが出来たからこそ
私は心理カウンセラーとしてここに立っているのだと思います✨
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